織田信長が作った夢の城「安土城」。
五層七重の巨大な城で、当時その姿を見た宣教師たちが仰天したなどというエピソードが伝わっています。
ひとつの山そのものを使って作られた城で、天主の高さは32メートルあったとか。
1576年創建、1582年火事により消失、1585年には廃城と短い間に消えた幻の城でもあります。
そのため、実像に謎が多いのですが、今は遺構を多くの歴史ファンが訪れています。
写真(クリックで拡大できます)で見どころを紹介しながら伝えます。
個人的には20数年ぶりに登った城跡です。
安土城跡の場所と駐車場
住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6371
名神高速道路:八日市インターより約25分。蒲生スマートインターより約20分。
JR琵琶湖線:安土駅より、徒歩で約20分。タクシーで7分程度です。
駐車場は100台以上が停められる大きなスペースがあり、無料です。
大型バスも停められます。
なお、20数年前は駐車場もなく寂しい場所でしたが、今は売店もあり、整備されています。
年中無休で午前8時半~午後5時(入場受付最終4時)の間、入場できます(注:季節により変動あり)。
昔は無料で登れましたが、現在は一般社団法人・安土山保勝会が管理しているようで、大人700円、高校生以下200円の入場料がかかります。
安土城跡案内
何度か計画的に発掘調査が行われているようです。
山の標高は200mほどであるようです。
安土城の歴史について書かれた看板。
わずかの間しか存在しなかったことがわかります。
いざ安土城跡へ登城
受付で700円を払い城跡へ。
トイレは受付より外にしかありませんので、あらかじめ済ませておきましょう。
受付付近に自動販売機がありますので、飲み物を持ってきていない人はここで購入を。
なお、城跡内は当然ながら、喫煙禁止でゴミ箱もありません。
大手道の階段。
案内板によると石段は405段。
無料で杖を貸してもらうことができます。
伝・羽柴秀吉邸跡と伝・前田利家邸跡
大手道を少し上がると左にあるのが、羽柴秀吉が住んでいたとされる屋敷の跡です。
なかなか広い屋敷だったようです。
大手道を挟んで羽柴秀吉邸跡の反対側にあるのが前田利家が住んでいたとされる屋敷の跡です。
こちらはそれほど発掘されていないようです。
秀吉と利家は安土以前にも屋敷が隣同士で仲が良かったという逸話がありますね。
それが、賤ヶ岳の戦いで利家が秀吉についた一因だと言われていますが……
大手道の石仏
資材として、石仏が使われたという逸話がありますが、大手道にひとつはっきりしたものが残っています。
安土城跡は歩きやすくなっていました
大手道はまだまだ続きます。
途中、平坦になるところもありますが、だんだん脚が疲れ、息も上がって来ます。
しかし、20数年前と違い、今は段差の大きいところは補助的なブロックが積まれ、歩きやすくなっています。
伝・織田信澄邸跡、伝・森蘭丸邸跡
石段を登る途中、左手に案内の石碑がありました。
織田信澄というのは、信長と家督相続で揉めて殺された弟、信勝(信行)の息子で、明智光秀の娘婿にも当たる人物です。
津田信澄とも呼ばれます。
森蘭丸と屋敷を並べていたのでしょうか。
残念ながら、このあたりはまだ調査・発掘が進んでいないようでした。
黒金門跡
安土城中枢部へ続く門の跡地です。
かつては立派な門があったようです。
有名な戦国武将たちがここを通ったのかと思うと、感動するものがありますね。
仏足石
仏足石というのはお釈迦様の足跡を再現したものです。
古代より仏教徒にとっては信仰の対象ですが、安土城では石材のひとつとして使われていました。
中世の仏足石はあまり残されていないようで、貴重なものであるようです。
二の丸跡・信長公廟
普通の城だと二の丸あたりに普段城主は過ごしていて、天守閣は見張り台だったり、飾りだったりするわけですが、信長は安土城に関しては天主(安土城に限りこう書く)に住んでいたとされていますね。
二の丸跡には信長公廟がありました。
秀吉が建立したもので、信長の遺品が納められ、祀られています。
安土城本丸跡
本丸跡に到着しました。
少し広いスペースとなっています。
安土城・天主閣跡
いよいよ天主閣跡です。
伝承ではここに豪華壮麗で、見ようによっては奇妙な建物が建っていたそうですが、今は見る影もありません。
栄枯盛衰を感じますね。
案内看板を見たところ、この安土城跡は民有地であるようです。
所有者の好意で公開されているとか。
それだけに登るときは皆さんマナーを守りましょう。
天主閣跡より琵琶湖方面を見ました。
遠くに琵琶湖が見えます。
信長もこのような景色を見ていたのでしょうか?
ただ、琵琶湖はかなり干拓されています。
当時は安土城から直接船に乗って、琵琶湖に出られたようです。
対岸の坂本城や北の長浜城と連携していたのでしょうね。
天主閣を降りて、元の道に戻るわけですが、同じ道を帰るパターンと、摠見寺を見て帰る道に分かれます。
もちろん、摠見寺跡を見るコースに向かいました。
最終的には同じ道に戻ります。
伝・羽柴秀吉邸跡のあたりに出ます。
摠見寺本堂跡
信長が城内に建てたとされる摠見寺の跡地です。
かつては信長自身を祀らせたという説がありますが、今は信長を慰霊しているそうです(再建された摠見寺は城跡内にありますが、順路からは外れます)。
摠見寺二王門跡
本堂は江戸時代の失火で燃えたようですが、門は残っています。
ここでは「仁王門」と書かず、「二王門」と書くようです。
この門はかつて甲賀地域にあったものを信長が移築したものだそうです。
安土城跡・個人的感想
20数年前、バテバテになって登った安土城。
平山城でありながら、急勾配の階段に苦しんだ想い出がありますが、今回はなんとか登ることができました。
もちろん、息はそれなりに上がりましたし、翌日は筋肉痛に苦しみましたが……
かつては安土町が管理していたようですが、隣の近江八幡市と合併したことにより、予算でも増えたのでしょうか。
それとも、観光資源としての価値に気づいたのでしょうか?
あちこち整備されていたので、登りやすくなっていました。
年配の方やロングスカート姿の歴女らしき女性も登っているのを見かけました。
標高の低い山なので、登山靴を履かないといけないレベルではありませんが、それでも歩きやすい靴や服装で挑みましょう。
シーズンによっては、虫除けスプレーやタオル、帽子、水筒などが必須です。
しかし、さすがは山ひとつを城にした信長の城です。
スケールの大きさを感じましたし、登ってみた満足感も大きいですね。
発掘調査は予算不足で一時停止中のようですが、観光客が増えたら、もっと発掘されるかもしれません。
車で少し移動すると、考古学博物館などがあり、安土城のことをもっと知ることができます。
時間に余裕のある方はそちらも見ていってください。
最後に繰り返しますが、この地は民有地であり、所有者の好意で公開してもらっている場所なので、マナーは必ず守りましょう。
喫煙やゴミのポイ捨ては厳禁です。
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