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八幡山城跡と日牟礼八幡宮(滋賀県近江八幡市)関白・羽柴秀次の居城です。

神社・仏閣等
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八幡山城・基本情報

八幡山城跡は滋賀県近江八幡市にある城跡です。

JR近江八幡駅から車で10分程度のところにあります。

築城主は豊臣秀吉と羽柴(豊臣)秀次。

築城年は1585年とされています。

安土城が灰燼と化したことにより、その機能を移すということで城下町共々移設されました。

羽柴秀次は秀吉の甥で、一時は後継者に指名された人物ですが、秀吉に子ができたことにより、悪役とされ、一族郎党皆殺しにあった悲劇の人物です。

数々の悪事を働いたとされ(創作によるものが多い)、「殺生関白」などと不名誉なあだ名をつけられていますが、現在の近江八幡市が発展しているのはこの秀次のおかげとして、見直されつつある人物です。

その居城となっていたのが、この八幡山城ですが、非常に急な山であるため、実際は山のふもとで政務を採っていたと伝わっています。

現在はふもとからロープウェーで頂上まで行くことができます(5分程度)。

ロープウェーは15分間隔で運行されています。

大人は片道500円、往復890円でした。

子どもは半額となります。

八幡山城ギャラリー

ロープウェーに乗って山頂にたどり着きました。

所要時間は5分程度です。

歩いてすぐ、地蔵尊がありました。

中に入ると金色の仏像がたくさんありました。

「村雲」と書かれているのはこのあと頂上に村雲御所という寺があるからです。

順路に沿って歩いていくとこのように石垣をたくさん見ることができます。

柴田勝家を倒したあとに造られた城ではあるのですが、まだ徳川家康との対決が控えていましたので、防御拠点としても重要視されていたようです。

近江の国は当時も今も交通の要衝ですから、秀吉としては信頼できる親族に任せたかったのでしょうね。

頂上にあるお寺「村雲御所(瑞龍寺)」です。

宗派としては日蓮宗となるようです。

元は京都にあったお寺ですが、秀次の母で秀吉の姉でもある「とも」がここに移設したとされています。

無念の死を遂げた秀次を哀れに思ったのでしょう。

かつてはここが本丸でした。

なお、ロープウェーを降りてからからここまでは10分程度の道のりで、それほどきつい坂道ではありませんでした。

平日に訪れたためか、ロープウェーも含めてほとんどお客はいませんでした。

山頂から近江八幡市を見下ろしたところです。

羽柴秀次もこの景色を見ていたのでしょうか。

なお、今は城の北側は田園となっていますが、当時は琵琶湖に面していたようです。

このあたりも安土城にそっくりですね。

今も八幡堀として運河が残されており、観光名所となっています。

羽柴秀次は近江八幡でも安土と同じく楽市楽座を始めたとされ、後の近江商人の発展につながったとされています。

日牟礼八幡宮

日牟礼八幡宮由緒

八幡山城のふもとには日牟礼八幡宮という神社があります。

神社由緒によると、第13代成務天皇が重臣武内宿禰に命じて地主神の大嶋大神を祀ったのが始まりとされています。

西暦131年のこととされていますが、この年代換算法が合っているかは議論の分かれるところかと思います。

大嶋大神は大国主命と同一視されていますが、これも議論の分かれるところかと思います。

後に応神天皇がこの地を訪れた際、日輪がふたつ見えたという現象があり、「日群之社八幡宮」と名付けられました。

これが西暦275年のこととされています。

691年、藤原不比等がこの地を訪れた際、「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」という和歌を詠み、「日牟禮(礼)」という表記が使われるようになりました。

この日牟礼の語源については、古代近江の豪族、和珥氏から来ているという説もあります。

和珥氏は応神天皇と縁のある豪族で、おそらく祖先神として彼らが祀った存在に箔を着けたと考えるのが自然でしょうか。

日牟礼八幡宮御祭神

八幡宮ということもあり、応神天皇とその母神功皇后、さらに比売(ひめ)大神が祀られています。

この比売大神は一般的には宮島や宗像神社に祀られている市杵島姫命ら三柱の神様とされていますが、一説には卑弥呼ではないかとも言われている神様です。

991年一条天皇の勅願により、八幡山に宇佐八幡宮を勧請。

こちらは上の社と呼ばれていました。

一方、ふもとにある遥拝所を下の社と呼んでいました。

しかし、秀吉が八幡山に城を造ることになったことと、秀次が切腹に追い込まれることになったことで、結果、現在では下の社のみが残されている形となっています。

日牟礼八幡宮ギャラリー

楼門の表裏です。

元は室町時代に近江守護の佐々木六角氏が建てたものですが、焼失したため、江戸時代に再建されています。

境内の様子です。

それほど広くはありませんでしたが、神聖な空間という感じがしました。

訪問した日は平日だったのですいていました。

拝殿です。

こちらも佐々木六角氏が造ったもので、何度か改修されています。

本殿です。

宇佐八幡宮と形が似ているような……

こちらも何度か改修されている建物です。

能舞台。

こちらは明治に入ってから造られた建物のようです。

摂社がいくつかありましたが、おなじみの天神様もおられました。

余談・八幡まつり、左義長まつりについて

この神社ではふたつのおまつりが行われていて、それぞれ「八幡まつり」「左義長まつり」と呼ばれています。

双方とも火をたくさん使う派手なおまつりです。

元々、応神天皇がこの神社を訪れた際、道中、たいまつを燃やして案内したというのが由来で、これが「八幡まつり」につながっています。

一方、現在の近江八幡の町は安土から移転してきた人々が発展させたわけですが、移住してきた人々が八幡まつりの派手さに驚き、それに対抗するため安土で行われていた左義長を始めたというのが「左義長まつり」の始まりです。

左義長というのは正月にお守りなどを燃やす「どんと焼き」の一種ですが、これを信長がアレンジして、仮装したり、爆竹を鳴らしたり、派手にしたものです。

各所の神輿が町を練り歩き、出会うと喧嘩になる勇壮なおまつりとなっています。

交通アクセスなど

八幡山城も日牟礼八幡宮も電車ならJR近江八幡駅からバスが出ています。

「長命寺行き」と書かれたバスに乗ってください。

車なら名神高速道路「竜王インター」からが一番近いです。

インターを降りて20分くらいかかります。

駐車場は周辺にいくつかありますが、神社前の道路が広くなっており、左右にかなりの数が停められるようになっています。

ただし、おまつりの際には交通規制が行われるため、車で行かないほうが無難かと思われます。

↓ 神社公式サイト

日牟禮八幡宮トップ - 日牟禮八幡宮
日牟禮八幡宮は、広く“八幡さま”として親しまれ、近江の守護として湖国の中心に位置しています。当地に八幡さまが祀られていたことが、八幡の地名となり、昭和29年の市制移行後の「近江八幡」の由来になったと言われています。

日牟礼八幡宮の近くには、滋賀県だけでなく全国的に有名な和菓子店「たねや」の支店があります。

夏にはカリカリのあんこもちを乗せたかき氷が食べられました。

散策で疲れたあとはぜひお立ち寄りください。

たねや日牟禮茶屋 (近江八幡/甘味処)
★★★☆☆3.41 ■職人が一層一層、丁寧に焼き上げたバームクーヘンは自慢の一品。ぜひお試しあれ ■予算(昼):~¥999

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