坂本城について
坂本城は、現在の大津市坂本にあった城で、建築年は1571年と言われています。
築城したのは2020年の大河ドラマの主人公でもあった明智光秀です。
光秀は築城に関しても名人だったと言われています。
事実、当時日本にいたイエズス会の宣教師に、信長の安土城に次ぐ素晴らしい城だと絶賛されています。
城は琵琶湖に面していて、城から直接船で琵琶湖に出ることができたと伝わっています。
坂本の地に築城された理由としては、比叡山への抑えとしても、陸上交通、水上交通両方の抑えとしても、この地が適していたからだと推測されています。
都にも近く、琵琶湖の対岸には信長のいる安土城があり、連絡も容易だったことでしょう。
明智光秀が羽柴秀吉に敗れたあと、しばらく利用されていましたが、後に大津城が築城され、役目を失い廃城となりました。
資材は大津城築城に使用されたと言われています。
その大津城も関ヶ原の戦いの前哨戦で半ば倒壊したため廃城となり、その後、彦根城建築の資材になったと言われています。
彦根城近くは佐和山城があったのですが、佐和山城は石田三成の城だっただけに井伊家としては使いたくなかったのでしょう。
また、明智光秀ゆかりの寺である西教寺の門は、坂本城の門を移築したのではないかと言われています。
聖衆来迎寺という寺にも移築された門があるといわれています。
当時はいい資材が簡単に調達できる時代ではなかったので、このように使いまわされることが当たり前でした。
織田信長も安土城の石段に仏像を使っています。
現在、城があった場所のほとんどは住宅地になっており、国道が通っています。
私が訪れたのは、湖岸にわずかに残る城址です。
坂本城址の写真など
案内看板。
上記の琵琶湖にわずかに突き出した部分が現在、城址として整備され、公園になっています。
この記事で紹介しているのは城址公園の方です。
少し離れたところに「坂本城址」と書かれた石碑が立っているだけの場所もあります。
光秀の石像がありました。
奥に城壁のようなものも見えますが、往時のものではありません。
降水量が少ないとき、琵琶湖の水位が下がって往時の石垣が見えることはあるみたいですが。
地元の団体が造った石碑がありました。
この句は光秀が湖岸の松が枯れたのを嘆いた際に作られたものと言われています。
琵琶湖を望む。
かつて、明智光秀もこの景色を見ていたのでしょうか。
鳥羽一郎氏の歌碑がありました。
光秀について歌った曲があるようです。
城址といっても、ほとんど何も残っていない場所でした。
大河ドラマの放映により、訪問者が増えるのでしょうが、西教寺や比叡山、あるいは坂本の町そのものを訪れるほうが、往時を偲べるかもしれません。
公共交通機関だと、JR湖西線の駅「比叡山坂本」か「唐崎」下車となりますが、そこから少し距離があるので、車で行くほうが楽だと思います。
駐車場はそれなりにありました。
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