明智光秀が元亀2年(1571年)に築いた坂本城。イエズス会宣教師ルイス・フロイスが「信長の安土城に次ぐ、天下第二の名城」と記した幻の水城です。
現在は琵琶湖畔の城址公園として整備されていますが、2024〜2025年の発掘調査で相次いで新発見があり、国の史跡指定も告示されるなど注目度が急上昇しています。歴史・見どころ・アクセス情報を詳しく紹介します。
坂本城の歴史
築城の背景——比叡山焼き討ちの後
坂本城は、元亀2年(1571年)に明智光秀が築いた琵琶湖畔の平城です。
前年の元亀元年(1570年)12月、光秀は足利義昭と織田信長に仕える家臣として近江・宇佐山城主となり、信長に敵対する浅井・朝倉両氏と比叡山を監視する重要な役を担っていました。
翌元亀2年9月、信長は三万の兵をもって比叡山延暦寺の全山焼き討ちを敢行。
光秀はその主導的役割を担い、信長から高く評価されます。焼き討ち後、信長は光秀に近江国滋賀郡の支配を命じ、京と比叡山の抑えとして琵琶湖畔に坂本城を築城させました。
坂本という地の戦略的価値
坂本は当時、比叡山延暦寺・日吉大社の門前町であり、京への物資の入り口として栄えた港町でした。
西に比叡山を背負い、東に琵琶湖を望む天然の要害で、陸上・水上交通の双方を制する要所。都にも近く、琵琶湖対岸の安土城とも連絡が容易という立地でした。
城の特徴と規模——「幻の水城」
坂本城は本丸が琵琶湖に直接面する典型的な「水城」でした。
堀は琵琶湖につながっており、城内から直接船で湖へ出入りできる構造だったと伝わります。大天守と小天守の二天守を持ち、信長の安土城(天正4年・1576年着工)に先んじて天守が築かれたとも言われています。
元亀3年(1572年)12月、京の神官・吉田兼見が坂本城を訪れ「城中天主作事以下悉く披見也、驚目了」と記しています。天守の壮大さに眼を見張った、という記録が『兼見卿記』に残っています。
「明智は……坂本と呼ばれる地に邸宅と城砦を築いたが、それは日本人にとって豪壮華麗なもので、信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった。」
——イエズス会宣教師 ルイス・フロイス『日本史』より
石垣の積み方は「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれる地元・坂本の石工集団による野面積みで、花崗岩の自然石を積み上げた技法が特徴です。穴太衆は安土城など多くの名城の石垣を手掛けたことで知られています。
📋 坂本城 基本データ
- 築城年:元亀2年(1571年)
- 築城者:明智光秀(織田信長の命による)
- 城の種類:平城・水城
- 天守:大天守・小天守の二天守
- 廃城年:天正14年(1586年)
- 現在の状況:国の史跡(2025年指定)、大部分は住宅地・国道161号の下
本能寺の変と落城——わずか11日間の天下
光秀は坂本城を本拠として近江・丹波の平定など各地で活躍しました。
天正10年(1582年)正月20日には「小天主」で茶会を催したという記録も残っており、文化人としての一面も伺えます。
しかし同年6月2日、光秀は本能寺に信長を急襲し自害させる「本能寺の変」を起こします。天下人の座はわずか11日で潰え、6月13日の山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れた光秀は坂本城を目指す途中、山城国・小栗栖で落ち武者狩りに遭い命を落としました。
坂本城では家臣の明智秀満(左馬助)が守りについていましたが、秀吉方の堀秀政に包囲されます。秀満は光秀の妻子を刺し殺し、自らも腹を切って城に火を放ち自害。一代の名城は炎とともにその役目を終えました。
廃城後の資材の行方——城は生き続けた
光秀の死後、坂本は清須会議の結果、丹羽長秀の所領となり坂本城は再建されます。
その後、天正14年(1586年)に大津城が築城されると坂本城は解体され、資材や町人ごと大津へ移されました。
城の歴史はわずか15年で幕を閉じます。
ところが資材の「旅」はまだ続きます。
大津城も関ヶ原の戦いの前哨戦で半ば倒壊して廃城となり、今度はその資材が彦根城の建築に転用されます。
当時は良い資材の調達が容易ではなく、城の解体・転用は珍しくありませんでした(織田信長自身も安土城の石段に仏像を転用しています)。
また近年の学術調査で、聖衆来迎寺の表門(重要文化財)が坂本城の城門を改造して移築したものであることがほぼ確実となりました。
腰をかがめなければ通れない小さな脇扉(高さ98cm)など、城門として防備を意識した構造が今もそのまま残っています。
🏛 坂本城 資材の流れ
坂本城(1571〜1586) → 大津城(1586〜1601頃) → 彦根城(1604〜)
坂本城の城門 → 聖衆来迎寺 表門(現存・重要文化財)
坂本城の城門 → 西教寺 総門(移築と伝わる)
現在の城址公園——残るものと残らないもの
現在、坂本城があった場所のほとんどは住宅地となり、中央を国道161号が貫通しています。城址として整備された城址公園は実際に城があった場所より南側にあたり、琵琶湖に少し突き出た湖岸に設けられています。
公園内には明智光秀の石像(1995年建立)、案内看板、石碑などがあります。
石積みのように見える部分は公園造成時に新たに造られたもので、往時の遺構ではありません。本丸跡の石垣は湖底に沈んでいます。
琵琶湖の水位が下がると石垣が現れる
坂本城の石垣は今も琵琶湖の水中に眠っています。
渇水時に水位がマイナス50cm程度になると、湖中の石列がわずかに姿を現すことがあります。
過去には平成6年(1994年)の渇水時に約20mにわたって石垣の石列が確認されています。
ただし現在は琵琶湖の水位が管理・調整されているため、かつてほど大規模に姿を現すことは難しい状況です。
公園内の見どころ
公園内には光秀の石像のほか、「われならで誰かは植えむ 一つ松 心して吹け 志賀の浦風」という光秀の句碑(湖岸の松が枯れたのを嘆いた際に詠んだとされる)や、演歌歌手・鳥羽一郎氏が光秀について歌った曲の歌碑なども設置されています。
最新の発掘調査(2024年〜)——「幻の城」が動き出す
📢 最新情報:2024〜2025年にかけて相次いで新発見があり、坂本城の全容解明が大きく進んでいます。2025年に国の史跡指定(本丸跡・三の丸跡)が告示されました。
- 🔷 1994年
- 琵琶湖の渇水により湖中の本丸石垣が約20mにわたって姿を現す。城の存在が改めて注目される。
- 🔷 2023年10月
- 宅地造成工事に伴う発掘調査で、三の丸の石垣と堀跡が確認される。
- 🔷 2024年2月
- 花崗岩の野面積みによる三の丸石垣(高さ1m・長さ30m)を発見。大津市が宅地造成工事中止・保存の方針を決定。
- 🔷 2024年5月
- 新たな外堀石垣が発見され、外堀の幅が9mと判明。
- 🔷 2025年4月
- 大津市と京都橘大学の琵琶湖水中調査で、石列が約150mにわたって確認。防波堤や着岸施設があった可能性が指摘される。
- 🔷 2025年9月
- 三の丸跡と本丸跡の湖岸が国の史跡に正式指定される。
セットで訪れたいスポット
城址公園だけでは正直、遺構らしきものはほとんど残っていません。光秀ゆかりの地を巡るなら、周辺のスポットをあわせて訪れることで、往時の坂本城の姿をより深く感じることができます。
聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)
坂本城の城門を移築・改造した表門(重要文化財)が現存。腰をかがめなければ通れない小さな脇扉(高さ98cm)など城門の名残が見られます。拝観料350円(要事前予約)。公園から北へ約1.5km・徒歩20分。
西教寺(さいきょうじ)
明智光秀の菩提寺。光秀とその一族の墓、妻・煕子の墓があります。坂本城の城門を移築したと伝わる総門も見どころ。伏見城遺構の客殿も見学できます。
明智塚
本丸跡の北側にある塚。「触ると祟られる」との言い伝えがあり、光秀の愛刀が収められているとも伝わります。地元の人々が大切に守ってきた場所です。駐車場なし(城址公園の駐車場利用)。
大津市歴史博物館
発掘で出土した鬼瓦・鯱瓦や坂本城の解説展示があります。図録『明智光秀と戦国時代の大津』も入手できます。坂本城を深く知りたい方には必訪の施設です。
比叡山延暦寺・日吉大社
坂本城築城の直接のきっかけとなった比叡山焼き討ちの舞台。坂本ケーブルで登れます。日吉大社は全国3800社の日吉・日枝・山王神社の総本社で、坂本の歴史を語る上で欠かせない存在です。
🗺 おすすめの巡り方(徒歩ルート・約1時間30分)
JR比叡山坂本駅 → 聖衆来迎寺(移築城門)→ 坂本城本丸跡石垣(水位次第)→ 坂本城址公園 → 二の丸城址碑 → 京阪・松ノ馬場駅
※日曜日にはボランティアガイド「坂本城を考える会」が城址公園で解説を行っています(無料)。
アクセス・基本情報
| 住所 | 滋賀県大津市下阪本3丁目1(坂本城址公園) |
|---|---|
| 入園料 | 無料・常時開放 |
| 駐車場 | 約10台・無料。国道161号沿いの入口に石碑あり(釣り客が多い時間帯は混雑する場合あり) |
| 電車・バス | ① JR湖西線「比叡山坂本駅」下車、徒歩約20〜25分 ② 京阪石山坂本線「松ノ馬場駅」下車、徒歩約20分 ③ JR大津駅からバス20分・「下阪本」停留所から徒歩3分 |
| 車 | 名神高速「京都東IC」→ 国道161号(西大津バイパス)北上、約20分。 または西大津バイパス「滋賀里ランプ」→ 国道161号 |
| トイレ | 公園内にあり |
| 見学時間の目安 | 35〜40分程度(周辺スポット巡りを含むと1.5〜2時間) |
周辺スポットへの所要時間・料金
| 施設 | 距離・時間 | 料金 |
|---|---|---|
| 聖衆来迎寺(移築城門) | 北へ約1.5km・徒歩20分 | 350円(要事前予約) |
| 西教寺(光秀菩提寺) | 徒歩約25〜30分または車5分 | 参拝無料(一部有料) |
| 大津市歴史博物館 | 車で約10分 | 常設展500円 |
| 日吉大社 | 徒歩約25〜30分または車5分 | 参拝料300円 |
| 比叡山延暦寺 | 坂本ケーブル利用で約30分 | 拝観料1,000円 |
まとめ
城址といっても、往時の遺構はほとんど残っていない場所でした。ただ、眼前に広がる琵琶湖の静かな水面を眺めながら、400年以上前に光秀もこの同じ景色を見ていたのかと思うと、不思議な感慨があります。
周辺の西教寺や聖衆来迎寺(移築された城門)、比叡山を訪れるほうが往時を偲べるかもしれません。しかし2024年以降の発掘調査で坂本城の全容解明が急速に進んでおり、国の史跡指定を機に整備が進むことが期待されます。今後ますます見どころが増えていきそうです。





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